「私」とは?
「考える私」── 知性 ── ヘッド
「感じとる私」── 感受性 ── ハート
「ただ在る私」── 存在性 ── ハラ
このように「3つに分裂している私」が「実際のあなた」です。
なので、あなたの身体という乗り物の中では
「性格も行き先も異なる三人のあなた」が
一つのハンドルを絶えず奪い合っている状態が続いているのです。
だから、あなたの心には葛藤が絶えないのです。
静かにはなれないのです。
真我実現/悟り
「認識の主体である知性」
「感じとる主体である感受性」
「原初の実在である存在性」
それら「全て」を「一つ」にしなさい。
木幡 等

沈黙による直接伝達
自力での限界ライン〜恩寵介入の必要性〜
「自力」とは「努力によるもの」であり、努力とは意志や作為などといった「知性活動によってなされるもの」であります。
それゆえ、自力で行う瞑想では「考える私──知性」がハンドルを握ることとなり、もう一人のあなたである「感じとる私──感受性」までもが《窮屈な知性の次元》へと連れて行かれてしまいます。
ですから《果てしなく広がる真我の次元》へとシフトするためには「高次の他力(愛)である恩寵の介入」が不可欠であり、そのための最も強力な手段が直接伝達となるのです。
〜直接伝達による「真我の次元へのシフト」〜
【 Y. Y. 様/44歳/男性/東京都在住/探究歴:7年 】
ノーコンタクトセッションでの「遠隔の直接伝達」では、いつも頭部にエネルギーが流れこんでくる体験があったのですが、サイレンスセッションでの「沈黙による直接伝達」の時の体験はまるで違いました。
意識としての私が強烈に後ろに下に押されていく感覚があり、最後にはずっと後方の見えない壁にへばりついているかのようでした。
やがて深い安心感に包まれ、「これは、自力でこの状態にたどりつくことは不可能だ。」ということは強く感じました。
〜怒涛のような真我の流入〜
【F. J. 様/41歳/男性/埼玉県在住/探究歴:20年】
そこからさらに、穏やかだけどどっしりとした何かが怒涛のように流れ込んでくる。
口の動かし方、知性の使い方、会話の仕方がわからない…
ある程度の時間を置いて、その状態に浸りながら、先生と会話を始める。
会話をしながらも、ある種のサマーディの中に没入し続けている。
プンジャジの動画でまさにこのような状態になっている人を見たことがあったが、まさか自分がこの状態になるとは。
何だか自然に笑いがこみ上げてくる感覚。
〜手かざしによる「真我の次元へのシフト」〜
【 O. S. 様/49歳/男性/神奈川県在住/探究歴:20年 】
ノーコンタクトセッションの「純粋意識の直接伝達」では、あちらの次元からこちらの次元へと、直接、真我が流れ込んでくる感じがします。
それに対して、特別セッションで最後にしていただいた「(頭頂部への)手かざしによる直接伝達」では、手かざしがなされたと同時に身体が激しく震えだし(とても気持ちよかったです)、意識としての私が真我の次元へと引き込まれていき、こちらとあちらの境目が消えていくような感じになりました。
そのことにより急速に悟りのプロセスが進んでいることが、はっきりとわかりました。
これらのことからも、実際に肉体をもった目覚めた方のそばにいるということの意味や大切さが、観念としてだけではなく体験的にも理解することができました。
〜日常にも定着した「内なる静寂」〜
【 F. T. 様/40代/女性/大阪府在住/探究歴:2年 】
ノーコンタクトセッションでも十分に、今までに他で受けたどんな遠隔セッションでも感じたことのないほどの変化を、直接伝達時だけでなく日常生活の中でも感じていたのですが、サイレンスセッションでの沈黙による直接伝達では「圧倒的な何かが、自分の中に流れ込んできた」という印象です。
......そして個人セッションから4日後の朝、目が覚めたら、自分の内側がシーーンと静まり返っていました。
「瞑想をしているわけでもないのに、なんでこんなに静かなんだろう・・・」
今後のいろいろな変化も楽しみつつ、ずっとこの静けさと共にありたい・・・
そう願うばかりです。
〜日常においても継続する「純粋意識との接触状態」〜
【 W. Y. 様/50歳/女性/神奈川県在住/探究歴:7年 】
セッションから4日たった現在でも、今までにない「純粋意識との接触状態が継続していること」に正直驚いております。
今日も心が静かです。
昨日も、ほとんど椅子に座って過ごしていました。
また、今朝、瞑想しようとして背筋を伸ばして座り目を閉じたら、「瞑想している時としていない時の状態がほとんど変わらない」ということに気がつき、驚きました。
〜「内的脳内サージェリー」──力強く直接的かつ精緻な動きのある脳への働きかけ〜
【匿名1様】
今回「内的脳内サージェリー」と表現をさせていただいた理由は、私の抱く「癒し」、「ヒーリング」といった言葉の印象が「効果はあるかもしれないが漠然とした間接的かつ対症療法的なもの」である一方、今回感じたエネルギーはもっと力強く直接的かつ精緻な動きのある脳への働きかけだったので、「まるで手術の様な」という意味で「サージェリー」と書きました。
英語なのは手や道具を使わないので日本語の「手術」と言うよりは英語の外科的処置、手術といった意味の「サージェリー」かなといったただの印象です。
「内的」というのは、皮膚切開をせず出血、痛みや苦痛がないためです。
医学的には「非観血的」といった方が正確かもしれません。
〜半世紀にもおよぶ探究の末に──私が真我へと溶け込んでいく至福〜
【宏空様/僧侶/59歳/男性/愛知県在住/探究歴:49年】
「沈黙による直接伝達」が始まってから約10分後のことでした。
内なる音が鳴り響き、私のすべてが恩寵のエネルギーに包み込まれているような感じになり、ひたすら穏やかで静かな平和がそこにありました。
私にとって最も価値のある状態が実現しました。
何かを得たわけでもないのに、何かに集中しているわけでもないのに、何か楽しいことをしているわけでもないのに、何か有益なことをしているわけでもないのに、人間が立派になったわけでもないのに、何も必要とせず、何も望むものはなく、退屈もせず、飽きることもなく、ただそこに存在しているだけで、すべてが満ち足りて、いつまでもこのままでいたい、もしできるならば、このまま肉体を離れてしまいたいとさえ思えるような状態を味わっていました。
そこには、通常のカウンセリングやセラピーを通して経験できるような癒やしや安心や喜び以上の味わいがありました。
私を超えた何か神聖な次元とつながって、一体化しているという敬虔な気分と畏敬の念を伴う感覚でした。
時間の経過と共に、真我へ向かって私という意識が溶け込んでいくという感じもありました。











